偉大なる折田先生・その四
平成十二年頃であったろうか
この闘争はひとまず停戦の時を迎える。
折田先生の銅像が総合人間学部から消えた。
業を煮やした当局が銅像の撤去に踏み切った。
そういう説もあるが、
少なくとも建前上は
「総合人間学部の講義棟群の建替え計画の一環のための撤去」
像の建立されていた場所も整理区画に該当していた。
少なくとも
この悪戯と格闘していた当局担当者は
密かに胸をなでおろしたに違いない。
しかし
彼(等)の情熱が冷めることは決してなかった。
ハリボテ先生像第一号:「ラオウ」
(写真出典:e-kyoto)
こともあろうに
銅像撤去後の跡地に
台座からレプリカを建立してしまったのである。
しかも例の立て看板まで再現されている。
立て看板の文言に手を加えたのもこれが初めてだと思われる。
漢に「おとこ」とルビをふってあるあたりに
一定の評価を与える者も多かった。
平成十三年に入り
ついに工事は本格化。
銅像が建っていた場所は完全に工事区域内となり
壮絶なバトルが繰り広げられた総合人間学部A棟前は
ついに立ち入り禁止になった。
「これで見納めか。」
誰もが そう思っていたはずである。
ただし、首謀者(達)を除いて。